渋谷事件

 

text: 本柳亨

 

 
 

 日本人でもなく、中国人でもなく、連合国民でもない。終戦直後の在日台湾人は、一つの国家や法律で拘束することができない「間」の存在であった。彼らは余白の多い特異な立場を利用して、渋谷駅前の交通疎開空地を不法占拠し、1946年には「駅前マーケット」と呼ばれる闇市を形成した。駅前から渋谷消防署までの一角を「中国租界」とする計画も進められていた。

 渋谷で勢力を伸ばしていた台湾人グループは、闇市の縄張り争いや禁制品販売をめぐり、新橋の松田組と抗争を繰り返す一方で、警察との対立を激化させていった。台湾人グループと警察の緊張関係が頂点に達するなかで勃発したのが「渋谷事件」である。

 『新修渋谷区史』によれば、1946年7月19日の21時頃、台湾人グループがジープ2台、乗用車1台、トラック5台に分乗して、厳重警戒中の渋谷警察署前を通過しようとしていた。署長を狙った台湾人側からの発砲が事件の口火となり、双方に死傷者がでる抗争事件へと発展した。渋谷事件をきっかけに、警察は都内の闇市の取り締まりを強化し、事件の翌日には渋谷の闇市が永久封鎖された。それと同時に台湾人グループの活動も沈静化へと向かった。

 現在も、台湾人と中国人の「間」で、台湾人と日本人の「間」で、さらには国籍・人種・宗教の「間」で多くの人びとがゆらぎ続けている。しかし、「間」にある余白は容赦なく切り捨てられ、その両端だけで社会を構成しようとする動きが加速しつつある。渋谷事件の現場は、現在の渋谷警察署から150メートルほど離れた、渋谷三丁目の歩道橋付近であった。この歩道橋を登れば「間」を生きた人びとの煩悶が見える。