東京ヘテロトピア渋谷「拆哪、China」

 

text: 陳又津(及川茜訳)

 

 
 

世界で一番せわしない信号を渡ると、銅像の写真を撮っている人だかりが見えました。

─ハチ、やっと見つけたぞ! ずいぶん探したんだよ。

撮影中の観光客を押しのけます。まったくいやな人たちです。知りもしないくせに慣れ慣れしくして。ハチ、お前がまだ生きていたら、きっと警告しただろうね。お前をなめてかかると大変なことになるぞって。

「うちのハチに勝手に触るんじゃない!」

杖を振り上げると、みんなは後ずさりして、たちまち人だかりは散ってゆきました。これでよし、と満足してハチの耳を撫でます。あとは二人だけで話ができます。

─調子はどうだい? 僕もハチだよ、覚えているかい? 僕たちは同じ年に生まれたんだ。1934年の頃は良かったなあ。小さい頃は、渋谷のこのあたりはまだ空き地で、山手線の範囲は空襲でやられて、東横百貨店も焼けてしまっていて、銀行がちょっと残っていたくらいだった。もちろん後になってできた109やパルコなんて、まだ影も形もなかった。

それが今では、渋谷には地下鉄がこんなに通り、若者が集まってきて、これだけビルが建って、これだけ賑やかになるなんてなあ。

僕も年をとって、友人も減った。お前がこの世での最後の家族のようなものだ。毎日、午後になるとお前に会いに来るんだが、僕が死んだ後も、お前はずっと渋谷を守り続けるんだろうなあ。そうだ、お前も銅像の除幕式には出ていたね。あの時は母さんが生まれてまもない僕を抱いて見に行ったんだ。小さい頃から母さんに、お前は世一すごい犬だ、生きているうちに銅像が建つなんて、って聞かされたよ。でもそれだけじゃない。お前はいやな犬で、気が荒くて、道ばたで人に吠えついていた。近くの子供はみんな嚙まれたことがあるから、いつも石を投げていたし、商売人だってもちろんお前に餌なんぞやりはしなかったそうだね。だが、銅像が建ってから、次の年にはお前も死んだ。それで母さんも安心したそうだ。もう僕が嚙まれる心配はないってね。

生きてるときはお前もうす汚れた犬だったそうだね。それがある文章で、お前は飼い主の帰りを待っていて、飼い主が死んでしまったのに10年間待ち続けているって書かれたもので、みんな初めてお前が野良犬じゃないと気づいたんだ。それも仕方ない、もし大切な人が10年も帰って来なかったら、誰だって気も荒くなるだろう。お前は死んで、最後に飼い主と一緒に葬られた。10年以上待ち続けたんだ、一緒にしてやらなきゃなあ。

僕はお前の銅像と一緒に育った。でも10歳の時、お前は軍隊に連れて行かれてしまった。砲弾や飛行機にするので、一生帰って来られないだろうという話だった。でもお前がいなくなってまもなく、戦争は終わって、溶かした金属はレールにするしかなくなった。何年かして、そっくり元通りの銅像が建ったが、お前はあいかわらず野良犬のように、あっちこっち行き来して、困ったものだ。さっきも地下道にお前がいないので、もうこの世では会えないかと思ったよ。

巨大な十字路に青信号が灯りました。左に行く人も、右に行く人も、行先をはっきり知っています。お前がまだここにいるのを見て、安心したよ。もう日が暮れる、僕も帰って夕飯の時間だ。でもちょうどその時、信号が赤になりました。年をとるのは情けないものです。僕たちの足では、どうしてもみんなの歩調についてゆけません。

次に信号が青に変わった時、波のように人が押し寄せて来ました。

僕は不意に気づきました。帰る方向が分からないのです。

戦争が終わった時、僕たちはこの通りに暮らしていて、台湾に帰ろうかどうしようかと考えあぐねていました。今の家が日本人に取り上げられるのではないかと思ったんです。だって僕たちはもう日本人ではなくて、中国人なのだから。

─中国、英語ではChina だ。それをまた中国語でいうと、「拆哪[チャイナ]」、取り壊しって意味になる。

陳兄さんはこう教えてくれて、中国語をちゃんと勉強するように、これから使う機会も増えるからって言いました。兄さんは頭が良くて、学問があった。うちに下宿していたのも東京に留学に来たからです。小さい頃は兄さんが僕の憧れでした。

陳兄さんは言いました。中国が勝ったから、もう日本人に支配されずに済む、父さんと母さんがマーケットで稼いだ金も、ヤクザに納めずに済むって。だって中国の軍隊が来たら、ここも中国租界になるし、僕たちを守ってくれるんだから。そしたらみんな気がねなく、ドラゴンダンスも獅子舞も爆竹もできるし、線香を持ってお参りもできる。父さんと母さんの稼ぎが上がったら、僕のもらえるご褒美だって増えるだろうって。

戦争が終わって初めての春、近所ではみな頭を絞っていました。どうやって僕たちの軍隊を歓迎したら良いかって。結局、この通りに凱旋門を、パリの凱旋門のようなのを建てて、全く新しい中国を建設しようとしていることを全世界に知らしめようと決まりました。

ですが、警察はこの凱旋門が交通の妨げになるとして、速やかに取り壊すようにと言いました。壊さないなら強硬手段に出ると。大人はこの知らせを受けると、すぐに子供たちを家に帰し、棍棒を持って飛び出してゆき、僕たちの凱旋門を守るために警察と対峙しました。

僕は毎日学校から帰ると、凱旋門が壊されてはいないかと心配で、一日に何度も様子を見に行きました。期待の中で、凱旋門は少しずつ高く伸びてゆきました。ゆっくりと、凱旋門に青い空と白い太陽が描かれたのが見えました。陳兄さんは、あれが僕たちの国旗で、この国が中華民国というんだって教えてくれました。

もう少しで完成というところで、突然警察はすべて取り壊してしまいました。みんなの2、3週間の苦労は、すべて木っ端みじんになってしまったのです。

─俺たちの国はなんていうかまだ覚えてるか?

─中国。

─中国は英語でなんていう?

─China 。

─なんて意味か覚えてるか?

─取り壊しって意味。

木ぎれの山の横で、陳兄さんに笑わされてしまいました。

「拆哪」の軍隊と、取り壊された凱旋門という組み合わせは、ぴったりでした。

陳兄さんはこう慰めてくれました。大丈夫だよ、軍隊が来て守ってくれるようになったら、もっと大きな凱旋門を作ろう。

その日を最後に、陳兄さんはもう帰って来ませんでした。お土産にお菓子を持ってきてくれるって約束したのに。待ちくたびれて、僕は眠ってしまいました。後で分かったことには、陳兄さんは警察との銃撃戦に巻き込まれたのでした。同じくらいの年の若者がたくさん命を落としました。陳兄さんは助かりましたが、日本を去らねばなりませんでした。

送還の船を待つ間に、陳兄さんは言いました。心配するな、台湾の人はみんな渋谷で起きたことを知っていて、数千人が集まって、死んだ学生の無念を晴らそうとしているんだ。現場の250発の銃弾は、絶対に警察の言うような突発的な応戦なんかじゃなく、あらかじめ仕組まれた罠だったんだから。

─中国はきっと俺たちの無念を晴らしてくれる。

陳兄さんはこう慰めてくれました。すぐに戻るよ、その時はたくさんお菓子を持ってきてあげるから。

夏が過ぎ、冬も過ぎて、また春がやってきました。陳兄さんはそれでも帰って来ません。警察のマーケットへの締めつけはますます厳しくなり、店は地下街や川沿いに追いやられて、当時一番にぎやかだったマーケットは、今の渋谷駅前の空き地になってしまいました。

ハチの銅像も戻って来たのに、陳兄さんは結局帰らずじまいです。

大人になってからようやく気づきました。蔣介石の軍隊と政府は、そもそも僕たちを守ってくれるはずなんてなかった。

以前に戦争で中国にやられた叔父さんは、もっと酷い目にあいました。日本人だったら戦犯扱いですが、中国人だったらそれでは済まなくて、売国奴ということになります。どちらの国の者だと言ったところで、監獄に入らなければなりません。とうとう台湾に帰ってきた時には、錯乱状態で、療養院に入院させなければなりませんでした。

もともと約束された中国軍もやって来ませんでした。凱旋門が壊されなかったとしても、軍隊がそれを目にすることはなかったでしょう。国民党は共産党に次々と敗北を喫し、台湾に退却して、冷戦が数十年続きました。日本は中国と国交を結び、僕の祖国は「中華民国」から「中華人民共和国」に変わり、多くの台湾人がパスポートを持って麻布の大使館に並び、国籍放棄の手続きをしました。

僕たちは中国人ではなくなったのです。

勉強するつもりだった中国語も、結局学ばないまま、パスポートの国籍も、中国から日本に変わりました。

あの時に死んだ若い学生も、みんなに忘れ去られ、この事件については誰ひとりとして謝罪していません。

この通りに入ったところで、昔の家がもう取り壊され、見覚えのないビルになっているのに気づきました。ガラスに映ったこの男も、僕は知りません。

顔に刻まれた皺と、鶏の足のような手─僕はこんなに年老いていたのでしょうか?

これはきっと夢だ、だって陳兄さんはついさっき約束してくれたばかりなんです、きっと帰ってくる、駅前で待っていてくれって。しかもハチも元の場所にいて、軍隊に連れて行かれたことなんてないし、戦争だって実は起こっていないし、ただ僕が悪い夢を見ただけなんですから。夢の中では痛みを感じないそうです。それならもっと速く歩けば、膝が痛み出して、すぐに目が覚めるでしょう。高架線に沿って歩き続け、頭上には電車が走り続け、そのうち僕は思い出しました。

うちの店は川辺に追いやられ、そちらに暮らすようになったのです。家はこっちの方向だ! ですがまたはるかに、警察の盾が地面にぶつかる音が聞こえました。

─また僕たちの凱旋門を壊すのか?

警察と民衆が対峙した場所に行き、杖を振り上げました。僕たちの国を守らなければなりません。

─ハチおじさん、お家はここじゃありませんよ。

─誰だ? なんで僕の名前を知っている?

─一緒に帰りましょう。

─お前たち警察はみなろくでなしだ! うちは確かに川沿いに引っ越したのに、お前の言った場所は駐車場じゃないか! 噓つきめ、中国人を馬鹿にするな!

─あそこはだいぶ前に駐車場になりましたよ。ハチおじさん、落ちついて下さい、娘さんがまた探していますよ。お腹もすいたでしょう? みんなご飯を待っていますよ。

─やめてくれ、僕の家はあそこだ、あの木材を組み立てた場所だ、どうして僕を捕まえるんだ? 何も悪いことはして

いないのに!

杖が奪われてしまったのに、僕の国はどうして助けに来てくれないんでしょう? この目で凱旋門が取り壊されるのを見たんです。中にいた人たちはみんな捕まって、そこはトタンで囲われて誰も入れなくなりました。僕は知っています。彼らは僕たちの言葉を取り壊し、僕たちの国を取り壊し、僕たちが暮らす場所を取り壊しました。そして最後に、僕たちの記憶も取り壊すのでしょう。拆哪、拆哪、僕は家にたどり着けません。